3月11日・東日本大震災・・あれから4年
みなさん
おはようございます。
4年前の3月11日
あの震災が起こった時に
皆さんは何をされてましたか?
私はまだ交通事故の
怪我が回復しないで
自宅にて療養していた時でした。
あまりの揺れに驚いたのを
今でも覚えています
そしてあれから4年たった今も
まだ避難所生活をさててる方々が
23万人もいらっしゃるそうです
今、私たちができること
そしてお役にたてること
何があるのか?
そして何ができるのか?
今できることを
無理のない範囲でやっていきたいと思う。
少しでも自分の力が
お役にたてるのなら
生きていて人として嬉しい。
先週の日曜日
ZUMBAサークル
LOVE&PEACEにて
震災の方々に向けて
全ての収益を義捐金として寄付を
させていただくレッスンをさせていただきました
もう発足して3周年になります。
リーダーは秋野先生で
私は副リーダーとしていつも
協力させて頂いております。
約2万人の方がお亡くなりになられましたが
これは一人の方が亡くなられた震災が
2万回起こったと捉えると
すごく想像を絶する震災です。
私は出身が広島です
まだ地元では原爆の後遺症で
いまだに苦しみ亡くなられる方がいらっしゃいます
決して忘れてはいけない事です。
いつ自分も経験するかわかりません。
私は交通事故でいまだに
後遺症はあり指先、肩、鎖骨、
足、特に足首、足の指、
痛みます。
痛みを押して仕事はしています。
被害者は決して
時が過ぎても忘れられません。
しかしながらマイナスには取らないように
自分に言い聞かせ
大脳が弱らないように
自分自身をコントロールしています。
震災で被害を受けられた方々は
もっと心の痛み等を考えると
想像を絶するほどなのだと思います
私一人の力は微々たるものですが
ほんの少しでも復興のお役に立てるように
日々を送っていきたいと思います。
人は一人では生きていけません。
人という字は
一本の棒が支えあって人という字に
なっています。
僕自身、多くの方々に支えられています。
私も目に見える人々
目に見えない人々
一人でも多くの方々のお役に立てれば幸いです。
今日もこれからも
この気持ちを決して忘れないで
死ぬまで生きて行きたいと思う。
今日も誰かのお役に立てれれば嬉しい。
みなさん
いつもありがとう。
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コメント
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震災から4年…
被災者の方々はどんな気持ちで
目覚めたのでしょう。
大切な人を亡くし
生活の拠点を失い
心を傷め、様々なことが
儘ならない生活を続けている方たちが
今もまだまだ沢山いると思うと
今、何不自由なく暮らせることに
感謝の気持ちを忘れず
精一杯生きなければと
改めて思います!!
何か出来ることがないか?
そう思いながら
被災者の方々が
復興に向け明るく元気に
日々を送る姿、
テレビなどで見るたび、
逆に元気を頂いてる自分に
情けなさを感じることもありますが
先生のおっしゃるように
人と人、支えあって
これからも4年前の今日の日を
忘れずに生きていきます!!
投稿: まみーな | 2015年3月11日 (水) 10時44分
私は、あの時福島の地にいました。そして、今でも住んでおります。
あの震災は忘れたくても忘れられません。
たまたま自宅にいたからよかったので、命が助かりました。
これからも1人1人わすれてはいけないことだと思います。
そして、お亡くなりになった方の分まで生きてる私たちは生きなければ
ならないと感じます。
これから、一人一人がどういきるかだと思います。
これからも命という奇蹟に感謝して毎日を過ごしたいです。
投稿: 恵美子 | 2015年3月11日 (水) 13時13分
あれから4年、もう4年、まだ4年。
たまたま被災をしなかった土地に生まれ、阪神大震災の時なにもでき無かった自分の無力さが後押しとなり、震災の年は何度か東北にお手伝いに行かせてもらいました。
かたや東京に帰ってくると、温かいお風呂、温水便座があり、すべてが今までと変わらない日常にとても違和感を覚え、同時に被災された方々への申し訳ない気持ちからか、しばらくはジム通いからも足が遠のいていました。
でも、被災された方、お亡くなりになられた方の中にも、絶対いたはずなんですよね、Zumbaが好きだった方、エアロが好きだった方、筋トレ重視の方もマーシャル命だった方も。
その方々のやりたくてもやれない無念さを考えると、今を、命のある現在を、思い切り享受しないでどうするんだ、と考え方を変えて、参加出来るようになりました。
今置かれている環境がどれだけありがたいか、どれだけ幸せなことなのか、被災してそれまでの環境を一瞬のうちに奪われた方々を思うと、今を幸せに生きる、隣の人と一緒に笑いあえる時間を享受することが、残された我々に出来る一番のことなのかなと思います。
震災から数ヶ月後、ボラ作業で行った石巻のガタガタに地盤沈下した漁港を、夕方ひとり走っていた男性の光景が、今でも強烈に目に焼き付いています。
あの男性はきっと震災前の日常を取り戻すべく「走る」という作業をして自分のメンタルを整えていたのかもしれないと、今でも過ぎります。
今を幸せに過ごすこと、自分の優しさを隣の人に分けてあげること、そして震災を忘れないこと、これが自分なりに震災から学んだことです。
投稿: ばにらまん | 2015年3月11日 (水) 16時43分